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ディアスポラ

再読いたしました。いや正確に理解するためには、カオス氏訳文と原文をつき合わせあと2・3回は読み直さんといけないか。。。重い文章であります。これは“イスラエル”と言う国の持つ重さでもあるでしょう。(翻訳紹介ご苦労さまです)

思うに、WW2直後での“国家(ステイト・ネイション)”がすでに機能しなくなった。同時にディアスポラである我々人類全体に取り囲まれた形での“理想の国”イスラエルの現状と現実は、この60年間のひずみと限界をもっとも極端な形で体現しているのだな、と思いました。そこでは“法”や“概念”が解体され、同時に20世紀的“人間”まで解体されてしまう。

破壊を超える力とはなんなのであろうか、、、と考え込むわけです。
2006.08.29[Tue]  投稿者:猫屋  編集  Top▲

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Balibar=Leblondに対する反論記事が載っていたので、参考までにリンク貼っときます。
2006.08.30[Wed]  投稿者:chaosmos  編集  Top▲

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レバノン関連クリップ、chaosmos氏の翻訳文

重い、そして長い文章です。カオスモス氏の長編翻訳、イスラエル・パレスティナ問題と .....続きを読む
2006.08.29[Tue]  発信元:ね式(世界の読み方)ブログ  

E・バリバール /J-M・レヴィ-ルボン : イスラエル-パレスチナ問題とヨーロッパの役割

ル・モンド紙に記載された、エティエンヌ・バリバールとジャン-マルク・レヴィ-ルブロンの記事。イスラエル建国の歴史的背景とパレスチナ人の悲劇的現実。パレスチナ大義がアラブ周辺諸国でどのように機能しているのかについて。アメリカ帝国主義とイスラエル軍国主義に対する批判。国連を重視した国際政治。ヨーロッパの役割。





追記---
歴史学者ジャン-マルク・ドレフュスの反論



ネット上で見つけたバリバールによるイスラエル‐パレスチナ関連記事。
Universalité de la cause palestienne (Le Monde diplomatique, mai 2004 : 阿部幸さんの)
Un nouvel antisémitisme (in Collectif, Antisémitisme : l'intolérable chantage, Israël-Palestine, une affaire française ?, La Decouverte, 2003, pp. 89-96 :丸山真幸さんの)
----
その他、参考になる記事。
Israël-Palestine : le cancer (Par Edgar Morin, Sami Nair et Daniele Sallenave Article paru dans Le Monde daté du 04.06.02 :fenestraeさんの)


*
国家の起源というものが、その国家の運命を規定することはない。それは常に複数の歴史へと開かれており、---諸々の状況を考慮に入ることで---いくつかの歴史が、後になって他の史実よりももっともらしく思われたとしてもそうである。それでも尚、様々な出来事の蓄積・それらの出来事に対する支配的な解釈・来る年も来る年も採用された(あるいは回避された)決定事項・出来事が集結させた利権やイデオロギーの策略というものが、悲劇的宿命のような形を浮き上がらせることがある。大惨事とは別の出口を構想するため、絶望のエネルギーで支えられた想像力を、今一度働かせてみる必要がある。

イスラエル国家とは、20世紀に様々な転換を受けることで極端にまで押し進められた19世紀を代表する二つの運動---中央・東ヨーロッパで圧制に苦しんでいたユダヤ人の一部による政治的・文化的投企、初期のシオニズムに見られるようなナショナリズムと、社会平等主義者らのユートピア思想に聖書の土地への「再帰」というメシア的幻想がともなうことで、創始者らの共同体をパレスチナに入植することを可能にした、ヨーロッパの植民地主義---これら二つの運動の接合に由来している。(イシューヴ全体を形成する)シオニスト・ユダヤ人によるこれらの共同体と共同体が自らに与えた政治方針とが、この戦略的地域と巨大な石油源を支配する目的から様々な民族・王朝・宗教に対し交互に媚を売ることで、アラブ世界において大英帝国が進めていた「重要な賭け」の駒のひとつとして機能することになったのである。「ユダヤ人のための国家的中心地」をパレスチナに設立することを公約した1917年のバルフォール宣言は、シオニストらを政策手段の一部にすることとし、彼らもまた自らの諸目的のために利用することを心得ていた(上記の)政策の契機を構築したのだった。

しかしながら、今日におけるイスラエル国家の存在と政治によって、まず第一にイスラエル市民に対して提起している問題の数々を理解するためには、人はその地点で留まっておくわけにはいかないであろう。すべてのことは第二次世界大戦とともに転倒したのであるが、それというのも、戦争が大英帝国の勢力を弱めさせたことと、ナチスの虐殺からの逃れた多く生存者をパレスチナへと急速に赴かせたという理由からである。そして、1947年の「分割」によって設立されたイスラエル国家に寄与したもの、国連にて容認されほぼ満場一致で国際的承認によって批准された新たなる道徳的合法性である。いずれにせよ、(キリスト教徒やムスリムのアラブ人ら、少数派が居住していたにも関わらず)「ユダヤ人国家」と自己宣言した国家、世界各地からできるだけ多くの敬虔的もしくは世俗的ユダヤ人(他国へ移住したばかりの者や、時として反ユダヤ主義が理由で不当な扱いに苦しんではいたものの、久しい以前から移住先で同化していた者、つまり文化的に非常に様々であるということだ)を国に集結する使命として召喚された国家が、戦争とテロリズムのなかで誕生したことには変わりがないのである。このことは、アラブ周辺諸国にとって、彼らに固有のナショナリズムと台頭する汎アラブ主義が、パレスチナにおけるイスラエル人入居を拒絶すること、さらには根絶しようとすることに拍車をかけるという、(少なくともサダト大統領による率先した働きかけまで)還元不能な敵意と、多かれ少なかれ公然であるアラブ原住民を追放するというイスラエルの対称的な意図とに強く結びついている。現実とは全く矛盾している、ゴルダ・メイルの言葉である:「祖国なき人民のための人民なき祖国」は、(アインシュタイン、ブーバー、アーレント、あるいはエルサレム・ヘブライ大学の創設者ユダー・マーニュなどのような)何人かの知識人が一斉に反対することを促した排斥論理、現在の大惨事の諸要因を萌芽として含んでいた論理を始動させることになった。

ここで要約することはできないが、50-90年代にかけて(レバノンへの最初の侵略は1982年)交差する攻防戦は、社会生活とイスラエルの主要政治家の甚だしい軍事化を引き起こし、ただ勢力関連の用語だけで政治問題を思考する彼らの傾向に拍車をかけた。「知的」攻撃ヘリコプターから核爆弾に至るまで、ありとあらゆる近代兵器セットを装備し、パレスチナ兵士の寝室を狙えるだけでなく、(特にアフリカにて確認したように)数千キロをも射程距離とする世界でも指折りの軍事力を保持している一方で、度重なる隣国との紛争をイスラエルは死活問題として示している。自国の国家的統一を強固にし、世界を通してユダヤ共同体に対する批判を止めさせ、最終的には自らの合法的根拠のひとつを憔悴させることになる危険を冒してまで、特殊な「権利」を国際関係において利用するため、彼らが着手したショーアの記憶の、漸進的な政治的回収において、このことが比重を占めなかったことはなかった。

また特にヨルダン川西岸地域とガザ地区の占拠、6日戦争後の東エルサレム併合、さらにはそこから帰結した二つの「インティファーダ」は、第二の転換期にあたる。パレスチナ自治区を設定し、委任統治国の旧領土(公式にはイスラエルが78%占めている)に両国家を構築する青写真でもあるオスロ合意(1993年)は、敵対論理の転換を象徴するどころか、植民地化に拍車をかけることと、既成事実を強化することに利用されることになった。今になって見るとオスロ合意というものは、(ヨルダン川西岸地域の壁を建築することも含め)土地・財産収用の一連の見取図が雄弁にも立証している、「大イスラエル」の征服における戦略的契機のように思われる。もっとも、ヤセル・アラファト指揮下でのパレスチナ解放機構が、(占拠された領土の委任「管理」から得た物質的利害という点も含め)裏表ある偽善性から免れていなかった。1998年になって初めて、パレスチナ民族憲章にあるイスラエル破壊を勧告する諸条項の破棄が公式になされたのである。何人かのイスラエル国家指導者(犠牲となったイツハク・ラビンなど)は、イスラエル-パレスチナ紛争の解決全体に障害となっているもの---土地・水・境界線・安全保障・国際的イメージに関して等価権利を与えた、敵を同等に扱うことの頑なまでの拒絶---を取り除こうとするように思われた。しかし、諸々の発言以上に事実が物語るように、イスラエル国家による植民地特徴の展開の方向で---すべての歴代内閣によって---一斉に進められた。これらの植民地的特徴は、今日「一方的撤退」という行為と名のもとにおいて全面的に優位にある。シオニスト国家は、デモクラシー政治形式(議会体制・憲法の保護・言論の自由)を展開し、また多大な社会的不平等を犠牲にすることで、(アメリカから他の諸国がこれまで受けたことがないほどの巨大な永続的援助の恩恵によって)高水準の経済的・文化的成功を成し遂げてはいる。しかしそれは、被支配的市民の幽閉・物質資源の統制管理・文化制度の破壊、彼らの自治政策方針に対してまた彼らのレジスタンス運動がたとえ暴力に訴えるものでないにせよ人命を奪う暴力が、そこにおいての生存条件であるように(地理学者Oren Yiftachelが「エトノクラシー」と呼ぶ)アパルトヘイト形式を掌握している異なる領域のうえに設立したのであった。

それゆえに、パレスチナ国家の独立要求によって取られた諸形式を、どのように評価したらよいのか。いかなる理想化もここでは適用できないが、諸勢力間の圧倒的不均衡によって創設された諸状況を無視することはできないだろう。それは特にテロリズム(精確な意味で、市民に対して向けられた無差別な殺人的暴力)、とりわけ宗教的遊撃兵グループと同様に世俗的なグループによっても適用され、「第二次インティファーダー」のさいに劇的に拡大された自爆テロの戦略の使用に関する場合には尚更である。われわれはパレスチナ市民の大半、エドワード・サイードやムスタファ・バグルーティのような知識人かつ指導者らとともに、これらの行為を道徳的に正当化不能な破壊的かつ反生産的なものとして見なすのではあるが、高度な手段でもって大衆を恐怖に陥れ、そう言った行為を増長し続ける連中らが告発する適任者でないようにわれわれには思われる。いずれにせよこれらの行為が、パレスチナの現実を読解するための唯一のグリルを作成することはできないだろう。

今日(創設の展望が日増しに薄れている)国家ではなく、還元不能な事実としてのパレスチナ国民がいる。まさにこの事実の、またはその否認の再認を巡って、依然として現代性を持つ惨事が---それが漸進的にその立役者らの支配から脱していくように思われてるにせよ---深刻化しているのである。この国民は1948年さらには1920年以前から、数々の文化社会的ルーツを持ち合わせている。ところがこの国民は、ナクバ(アラブ語で大惨事を意味する)に際して犠牲者であったところの、分割過程の余波のうちでしか、自らの特異性を十分に自覚しかつ政治プランを所持することができなかったのである。つまりパレスチナ人の国民意識は少なくとも三つの構成員---①投票権や市民権の一部は認められているが、(イスラエル国が「ユダヤ国家」と定義されていることだけでも)社会的・文化的・象徴的迫害されている、人口およそ20%に達するイスラエルのパレスチナ人(アラブ)。②流刑・占拠・支配など様々な形式に従属しているガザ地区、ヨルダン川西岸地区、東エルサレムの居住者。③中東の難民キャンプやディアスポラ(これらのカテゴリーは完全なものではない。そもそも歴史上でもガザ地区が巨大キャンプに匹敵するし、市街地の統一併合以来、東エルサレム居住者は十分な社会的地位を受けることなく「イスラエルのアラブ人」というカテゴリーに移行したからである。)、これら少なくとも三つに引き裂かれ分散させられた人民という事実問題と分離不能であるということである。

この引き裂かれた国民は再統合と権利の認知という希望を抱え、レジスタンス機構を装備することでしか自らの身を守ることができないのである。時とともに進化してゆく防衛線に応じてこの国民は、法的地位や異なる構成員らの物質的利害のうちで分離させられており、さらにはレヴァント地方の多文化共存主義の共通基盤上で、長年の追放期間に発達したコスモポリティックの側面を考慮しつつも、ある者は(キリスト教パレスチナ人を含む。むろん彼らだけではない。)非宗教的ナショナリズムに、またある者は宗教的ポピュリズムに属することで、集団的同一化の間で分離されているということである。それだけに、パレスチナ人が現在に至るまで内部闘争を制限することや、様々な陣営サイドからそこへ向かうようにと動かされてきた市民戦争の寸前で留まっていたことに、ほぼ成功していたという事実はいっそう注目すべきことである。「捕虜に関する証拠資料」に基づき、ハマスとパレスチナ暫定時事政府間で成立した最近の合意のうちにも、そのことは立証されているのである。自らの勢力へ再度訴えようとする誘惑と、世論と国際体制が自分らに有利に転換するという希望との間で揺れ動いているパレスチナ国民は、①アラブ・ムスリム諸国との関係について、②イスラエルとの未来についてという、解決困難を極める二つの問題に立ち向う必要がある。

当然のことながら、パレスチナ人は「アラブ世界」構成員のひとつである。まずは、当のアラブ世界からの物質的連帯性や政治的支持が必要になるわけだが、いくつかの国家(ヨルダン、レバノン)の進展にとって、彼らの存在が内側から影響を及ぼすと思われる度ごとに、アラブ世界から痛手を被ることすらあったわけである。「パレスチナ大義」は、相次ぐ帝国主義に対する反撃的な不安と希望を集結させることになった。それは革命的実例の代名詞にされたり、局地的な枠組みを超え長きにわたるひとつの国際主義への行動指針を与えたのだった。それは、それまで限られていたイスラムの地における、大衆の反ユダヤ主義を助長し、集団的無力に対する空想上の埋め合わせとしての、多くの「代理闘争」を養ってきたわけである。最初からパレスチナ大義というものは、汚職・公的自由の欠如・社会的不正が誘因となる怒りを宥めるものとして内政的に、それと同時に中東諸国間の勢力争いの切り札、あるいは局地的ヘゲモニーに奮闘する巨大勢力との交渉や対立の論拠として外交的に、アラブ諸国によって政治的に回収されたものであった。こういった理由で、パレスチナ機構の独立は常に脅かされていたのである。この観点からすると、現時点は(一部のハマス指導部がダマスに拠点を構えているにせよ)この独立の衰弱よりもむしろ成長によって際立っているように思われる。もしイスラエル側からの抑圧が、国家機構に関するパレスチナでの状況を維持不能なものにするなら、また欧米型帝国主義(今日において本質的にはアメリカの帝国主義と、その一部として感じとられるイスラエルによる占拠)に対する中東での闘争運動が、可能性は少ないと思われるが、ひとつの超国家的宗教イデオロギー下で強化され統合されるなら、事態が急変する危機にあるであろう。

もっとも本質的には異なるがひとつの対称的問題は、早期ではないにせよ長期の展望での、イスラエルとの関係についてである。パレスチナ人は、イスラエル国家消滅を望んでいるのだろうか?おそらくそう言えるだろうが、すべての抑圧された国民が当事者の消滅を望むようなレベルの話であり、平等に基づいた規定に好意的な諸勢力がイスラエルに今までにないような少数派しか存在せず、国際共同体がそういった規定を強行すること---ダヴィッドやタバでの難民キャンプにて検討されたものですら行われていない(未だに満足いくものではない。それというのも、「イスラエルのアラブ人」の境遇に沈黙しながら通り過ぎるようなもので、イスラエル人の「帰還法」とパレスチナ難民の「帰還する権利」の間のバランス状態が回復されずになっている。)---明らかに断念した限り、尚更のことである。しかしながら相互虐殺・民族大移動というような形式下でしか実現されないような消滅というものが、いつの日か勢力関係によって可能となると仮定するにせよ、果たしてパレスチナ国民の将来についての問題解決になるのだろうか?非常に疑わしいことである。それというのもまず第一に、半世紀以上に渡り、イスラエル国家の存在と発展が、実質的に(景観に至るまで)以前パレスチナ人であったものを消去することに成功し、パレスチナ人が排除されていると同時に依存しているところの資本主義成長に貢献しつつ、地域経済の変革を成し遂げたという理由からである。この依存状態は、アラブにおける原油産出諸国あるいは/かつ軍事諸国の観点からしても、もはや他のものとは転換不能なものであることはほぼ間違いないことである。パレスチナ人が必要とするものは、---緊迫した状況が彼らにそのことについて議論する時間を割かせるさいに、多くの人が認めていることであるが、---イスラエルの消滅ではなしに変革である。徹底した変革、これはおそらくないだろうが、変革が人種的自立・独り善がりな伝統の破棄・軍事力の濫用・イスラエル国民と彼らの歴史意識についての道徳面での抜本的変革をもたらすことになるだろうし、それが今日パレスチナで生を営む両民族にとって、政治的平等の展望と、そこで初めて実質的効力をもつ国際的権威の保証のもとで、相補性と経済文化協力による新たな立憲形式を考案するためには有効である。

これら長期的な解決諸条件から、---もしくは対峙した諸陣営間での交渉のうえに基づいた「和平プロセス」を新たに可能にするまったく別の妥協的展望から、---今日われわれは、これまでないほどに遠ざかっている。われわれはそれらを永遠に失ったかのようでもあり、状況は復旧不能の事態へと急降下したようにも思われる。このことは、イスラエル-パレスチナ問題の特異性が非常に広大な規模の紛争のさなかで現に解体しつつあるもの、不明瞭な輪郭や諸傾向に起因するばかりか、一方ではアメリカや(多かれ少なかれ確固とした)様々な同盟国と、他方では反米国家やイスラム「原理主義」運動など---当事者らによっても次第にコントロールが困難となっている増大する暴力に起因している。以上のことから、予想される諸文明の衝突を未然に防ぐために必要となる諸手段を整え圧力をかけながら、イスラエル-パレスチナ問題を早急に解決する必要があるという大部分の考えにいたるのである。しかしながら、それを行う時にあるのか?そして誰がそれを実行するのか?

西洋による西洋のための「デモクラシー」の輸出、「新中東」への軍事力による塑像は、ネオ・コンらの幻想、しかも兇悪な幻想でしかない。アメリカ領土内で侵された史上最大のテロを口実とし、次第に確実さを失いつつある帝国的ヘゲモニーを軍事的オプションで復興するため、実践的企てを隠れ蓑にしているブッシュ政権によって意図されたアメリカ介入は、予想困難な果てのないテロリズムと戦争震源地へとアフガニスタンとイラクを変質させることには成功はした。レバノンを破壊し続けているイスラエルの攻勢がいかにして決定されたのかを、いずれ人は知ることになるだろう。しかしながら、この攻勢がアメリカの合図なしにはおそらく投じられなかっただろうし、いずれにせよそのことが彼らの外交上のカムフラージュには功を奏し、「脅威に対する戦争」という大規模な戦略の一環となすことにはなったわけである。彼らの陣営からすると、当然のことながら、アメリカの敵には借りがないということである。危険を冒し、今や前「超大国」が抱える増大する難題を感知しながら、アメリカの敵対国らは、「カリフ」復興と中東支配に向かう、前進するための対立点増加は有利であると感じている。しかしそれは、ハマスにインスピレーションを与え、あるいは操作するベン・ラデンでなければ、かつてイスラエルがレバノン・ファランジュ党を武装させ利用したように、局地的な影響力回復目的でヒズボラを武装化さているシリアあるいはイランでもなく、アル-カイダでもない。アラブ・ムスリム世界を引き裂く国家的・神学的対立が消滅するに至る時、初めて「諸文明の衝突」について語ることができるだろうし、その地域における政治は決定的に権利を喪失するであろう。いずれにせよ、こういった方向性でおしゃべりが続けられ、そこで問題になるのは「悪の中枢」に対する反対運動あるいは「シオニスト的実体」の抹消とジハッドへの再召集することでしかないということだ。ブッシュとアフマディネジャードのレトリックが互いに似せて作成されている限り、彼らが共犯関係にあるということを誰が理解しないとでも言うのだろうか。

レバノンにおける第三の戦線(潜在的にはシリア駐在の)を開始すること、何よりもまず市街地を攻撃する全面戦争というオペレーションに投ずること、それと同時にゲリラ組織を前にして自分らの軍隊の無能さを証明すること、アメリカがまさに経験しているのと同じように、隣国だけでなく自分らのためにも何もならないことを予想させる新たな時代に、イスラエルは突入したことには変わりない。パレスチナ人や中東諸国全体と平和的な解決の可能性から、果てしなく後退させられた。イスラエルの存在を、自らこれほどまでに危険な状態さらしたのは初めてのことである。つまり、われわれが目撃した先の歴史的暴力における戦略的転回である。人々はそこから引き出される帰結を、回避することは出来ないだろう。時期がくれば、アメリカはすでに座礁していなくとも、自らの新-帝国主義の企てに失敗するだろうし、さらには、廃墟となった戦場、軍備拡大した狂信的な敵、「西洋」に由来する一切のことに対して警戒心を固めたあるいは憎しみで満たされた人々を後にして撤退することになるだろう。かつてないほどに敵対心で飽和した状況のなかで、自国民に対する無期限の動員令を維持すること、国内の防備を増大すること、ゲリラ兵入植を防ぐための「緩衝地帯」、また核も含め、周辺諸国に対する大々的な「抑止」作戦を増強することでしか、イスラエルは生き長らえないだろう。崩壊までには10-20年、いや50年かかるかもしれないが、それまでの間に、パレスチナとレバノン国民が(他の国民についてはとりあえずここでは置いておく)、後になっては取り返しのつかないほどの被害を被ることにおそらくなるであろう。最終的な期日は、正確には計算できないが、悪循環は抗しがたいものであるがため、今という時に賭けられている。

もっとも弱者の側あるいはより狂信度の少ない側について、発言・介入する機会を逃した人が緊迫性を通り越したところにいて、しかも賽は投げられたと思われるときに、人間・イデオロギー・権力の利害関係・政治システムが作動因であるところの宿命に対して何をしたらよいのだろうか?特にヨーロッパに対してこの問いは提起されるのであるが、事態の深刻度が高いだけに、憶測にすぎない帰結に近接していない出来事がたんに問題とされているのではなく、隣国との関係、人口の交流、経済文化的利害、過去と現在の責任(植民地に対する責任に始まって、シオニスト計画の実現を可能にしたヨーロッパのユダヤ人虐殺に対する責任)などが折り畳まれている、ヨーロッパ自らの歴史が問題のなのである。おそらくは、もっとも困難であり共有されている最大の危機のうちで、情勢の流れを転倒するため、つまりそれらの情勢を厳密さのうちで見出すため、最大の努力をはらって想像力と意志を働かせる必要がある。

イスラエル軍国主義の強化と、なかにはテロリズムに属することもあるパルチザンらの行動へのイスラエル軍側の「答え」---一般に言われるような「不釣合いな」報復ではなく真の戦争犯罪である自爆形式での報復---こういったものを前にして、ヨーロッパはこれまでのような疚しい良心を反芻しながら、変な心遣いを示す必要はない。反対に、自らが保持している確信と圧力によるすべての手段を、イスラエルと共にしている特権的な経済協力や科学協賛事業の協定を、一時的に中断することから着手すべきである。必要な場合には、一体主義を破棄し、アメリカに直に従属しているいくつかの政府の時間稼ぎ工作や意志に反して進むことも要されれる。いずれにせよ、こういった政府とはとことん距離をおくこと、そこでの政治が神学的・帝国的勢力によって支配された状態にあるうちは距離をおくことだ。現実の歴史的状況の戦場だけでなく権利の場においても、こういった政治によって従属していることについて、国際的政治に取って代わる必要がある。具体的に意味することは、①パレスチナと中東に関する国連による諸決議の、部分的にではなく全面的適用を、必要であれば国連総会を通して、改めて訴えること。②今日において事務総長ならびに人権委員会の話など誰も聞いてはいない状態ではあるが、国連の実在的権威を考慮にいれた政治的立場に立つこと。③今すぐにでも、将来のために国際機構の変革について思考する必要があるなら、イラクへの侵略時に連動し、当時の国際連盟と同じ破綻へと突進しているような、集団の権利と安全保障の渦を巻いた急降下状態を逆転させることである。

ヨーロッパは断固として、協調と交渉、あるいは地中海の全市民の絶え間ない地域「会議」による、地中海空間の構築展望のうちに位置している。アメリカまたはロシアは、そこにイランあるいはイラクと同じ資格でオブザーバーの席を持つことはできだろうが、共有する海に隣接する者たちやその歴史を作成した者たちが「自然的」構成員である。そのような空間は、当然のこととして、混成のものであり、多様文化的・多宗教的・政治的にも多様化され、対立した人口的・経済的利害を通り越えた混成空間である。したがって、それは闘争回避不能の空間である。平和が自動的に保証されることはない。しかしながらそれが、諸文化の衝突、ポスト植民地主義的ラシズム・反ユダヤ主義・イスラム排斥主義と同じくして移民統合主義へと後退させる自然、諸文明の衝突の論理に、唯一の想像によっる解毒剤を作り上げるのである。地中海型政治空間の構築は、最終的にイスラエルに対し、そもそも大部分の人口の出身地でもある南北諸国へと同時に接近しつつ、アメリカとの間にある偏狭的依存状態から脱出する可能性を与えることになるだろう。また対称的に言ってこの構築は、パレスチナ人とレバノン人に対して、ただアラブ世界にだけと極端に束縛された関係から距離を置くことを可能にするだろう。この空間が最終的にイスラエルに集合的な安全保障を与え、同時にパレスチナ人に対して(今後はレバノン人に対しても)、平等・独立・正義に関する彼らの要求を勝ち取らせるための権利や交渉力のうちに、自信を回復させることになるだろう。われわれが「する必要がある:il faut」と言うとき、「不可能と思われてもすべきである:il faudrait」という意味を聞き取るべきである。わずかでも最悪なことを回避しようとするなら、すべきである。だが、本当にそれを望んでいるいるのか?問いはたんに政府だけではなく、すべての人に提起されている。

Etienne Balibar est philosophe, professeur émérite à l'université de Paris-X Nanterre, distinguished professor of humanities, university of California Irvine.
Jean-Marc Lévy-Leblond est physicien, professeur émérite à l'université de Nice-Sophia Antipolis, directeur de la revue Alliage.
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