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アルジェリアアルジェリア(正式名称:アルジェリア民主人民共和国)は、北アフリカに位置するアラブ諸国のひとつ。首都はアルジェ。北は地中海に面し、東はチュニジア、リビアと、南東はニジェールと、南西はマリ共和国|マリ、モーリタニアと、西はモロッコと接する。.wiki .....続きを読む
2007.07.29[Sun]  発信元:『世界の国々』  

ピエール・ヴィダル-ナケ ~アルジェリア・拷問・中東危機

ピエール・ヴィダル-ナケ氏のオマージュとして、ル・モンド紙が再掲載した2004年5月9日の対談記事。アメリカ海軍兵のイラン人捕虜に対する、非人道的行為が発覚した後に行われた対談である。古代ギリシャの研究と同様に、氏がライフワークにしていたアルジェリア戦争におけるフランス軍の不祥事と、当時のメディアのあり方などとを比較しながら、対談は進められている。アルジェリア戦争におけるフランスの汚点。事後処理。アメリカと一線を画す、中東危機に対する最近のフランス外交のあり方を知る上でも、多少参考になるものであるように思われる。

Propos recueillis par Florence Beaugé et Philippe Bernard
Article paru dans l'édition du 09.05.04




*
アルジェリア戦時中、フランス軍による拷問の実践や暴虐を、あなたは先頭に立って告発しておりました。イラクで新たに発覚したアメリカ軍の振舞いに関してどのようにお考えですか?

VN---悲嘆と同時に感嘆しております。悲嘆というのも、報道された事実が本当に恐ろしいものであるからなのですが、わたしたちがアルジェリア戦時中に体験したこととは180度違い、アメリカの新聞による反応の素早さには感嘆しております。当時、フランス軍による暴虐に関して情報を得るということは、ナチ占領下でラジオ・ロンドンを聞いていたように僅かしかできませんでした。この点に関して、アメリカの新聞が示したものは、自らの自立性であります。確かに、アメリカの数々のメディアの機構において、万事がうまくいっているというわけではありません。しかし、情報を明かすという点においては、ひとつの素晴らしい例と思われます。

今回、ほぼタイムリーに新事実が明らかにされましたが、このことはデモクラシーにとっての、ひとつの進歩であるとお考えですか?

VN---イラクでのデモクラシーに関しては異をなします。そこにおいてアメリカは、大砲やあまり公言できないような方法を強いることをよしとしてます。一般に言われる、このことは、フランスとアメリカという非常に異なる二つの社会間にある差異の結果です。いずれにせよ、1950-60年代、われわれが体験したものよりはましということです。

アルジェリア戦時下での拷問の現実を認めさせるために、あなたが乗り越えねばならなかった障害がどういうものであったか詳しく説明してください。

VN---両親が強制収容所へと送られたという理由で、私は兵役を免除されていました。しかし、私と同世代の青年のほとんどは、アルジェリアに送られていました。

ロベール・ボノー(歴史家でもあり、1957年、エスプリ誌上で公版された、アルジェリアでの召集兵らの人生についての有名な証言の著者。)など、戦地へと送られたうち数人の者は、拷問・殺害・裁判なき処刑を目撃しております。沈黙の年、1956年にはギ・モレによる徴集兵派遣の年がありました。1955年以降レクスプレス誌にフランソワ・モーリヤックが寄稿していた”ラ・ケスチヨン”と題する記事、あるいは1956年初頭のル・モンド紙でのアンリ・マローの記事”フランス わが祖国”のような、いくつかの稀な記事によってのみ、この沈黙は破られていました。しかしながら翌年になると、特にエスプリ誌でのボノーによる記事など、数々の記事によって一斉に破られることになったのです。以来、国をあげての軍事行動について、人々は語ることになったわけです。これが示すことは、一言も言及しない報道機関があるということです。フランス軍の暴虐について口を開くまでに、1961年まで待たねばならなかったフィガロ誌のようなケースもあります。

その後、認知はどういった経緯を辿ったのでしょうか?

VN---公式の承認はなされませんでした。拷問の求償権を正当化するオーサレス将軍による最近の宣言によって、シラク氏が自らの慄然の念を表明したにせよ、今日に至るまでフランス国家はほとんど口を閉ざしたままです。個人の自由と権利に関するたいへん公的な保護委員会の報告は、1957年12月のル・モンド紙に、ひとつのぶしつけな言動に続き出版されました。オーダン事件(1957年6月、アルジェにてフランス軍によって捕えられた後、拷問中に亡くなった共産党の教員、モーリス・オーダンの名に由来する)は、動員・結集の起因になりました。忽ちのうちに、大学は結集し、同事件を世に知らしめるための委員会を創設しました。しかしオーダンは、動員を可能にしたという意味では良きシンボルでありましたが、同時に良くないシンボルでもあったのです。なぜならば、拷問による犠牲者のほとんどがムスリムであったのですが、彼は違ったからです。

ドゥ・ボラーディエール将軍のように、素晴らしい役目を果たした軍人もいます。

VN---実際に、フランスで最も勲章された将校の一人でもある、ジャック・ドゥ・ボラーディエールが、”軍の伝統に反する手法”を告発し、ジャン-ジャック・セルヴァン-シュレイバーの証言-アルジェリアにおける中尉だった彼の体験談の出版を擁護しました。この将軍は60日間城塞に送られた後、ブラックアフリカへと左遷されました。

拷問に関する軍の沈黙の掟は、以前と同じように現在でも一般的なのでしょうか?

VN---確かに、フランス軍では問題にならなかった、暴力の張本人を罷免することを話題にしているという点からすると、アメリカ軍は大惨事から免れていると思います。アルジェリア戦争時では、暴虐を告発した者が罷免されていたわけです。フランスではこれまで、拷問の責任者が裁かれたことも処罰を受けたことが一度もありませんでした。一度もです。マッシュは勲章で覆われて死んでいきましたのとは反対に、オーサレスが法廷で有罪の判決を言いわたされたのも、拷問について語たり上訴はしなかったからです。

かつてアルジェリアのように、今日のイラクについて、官僚の第一防衛が"管理下に置けない孤立した行為”に言及することからなっていますが、なぜでしょうか?

VN---ブッシュはそこで止めておけばよかったのです!しかし彼は、自らの嫌悪を表明しました。これは、ギ・モレが絶対しなかったことです!現にアメリカ大統領がそうしたのも、(拷問の事実そのものに)嫌悪を覚えたということではまったくなのですが、それというのも発覚の数ヶ月前から、特に赤十字などの報告によって知っていたからです。ブッシュがそう言うのも、各メディアが凄まじい圧力をかけているからです。

1954年と2004年の間で、新聞の役割はどういった点で変化したのでしょうか?

VN---おそらく、アメリカの新聞自立性の伝統は、とりわけフランスでは中央集権化が足枷となっているため、フランスのそれよりも優っております。しかし二つの時代間における主要な差異は、イマージュに起因しています。今日のように映像・写真によって、拷問が暴露されるということは、1957年には想像することはできませんでした。アルジェリアにおける反拷問の戦いは、文筆による戦いだけに制限されていました。当時のル・モンド紙記者ジャック・フォーヴェは、モーリス・クラヴェルがある時ラジオで、モーリス・オーダンの名前を発したさいに、非常に感嘆したといいます!当時、報道されたイマージュは、フランス軍によるひとりのアルジェリア人に対する処刑のイマージュのみで、レクスプレス誌に記載されたものでした。

このような問題に対する世論の開眼は、ある変革を示していますか?

VN---アルジェリアでの拷問が公式に討議されるまで、フランスでは2000年まで、つまり40年の歳月を待たねばなりませんでした。アメリカでは、ほぼ同時におこなわれています。

現実主義者の立場から、あるいはまたシニカルに、クリーンな戦争など存在しないなどと言う者らに、あなたはどう答えますか?

VN---それは間違っています。例えば、1914-1918年の戦争には拷問が存在しませんでした。

しかしイラク占拠の状況自体に、暴虐・略奪のおそれがあったのではないでしょうか?

VN---確かにそう言えます。アメリカは敵を忽ちのうちに非人間化しました。9.11以来、テロリストに立ち向うには、暴力以外の手段はないということを、わたしたちはさんざん繰り返し聞かされてきました。地下壕から出されるサダムを、まるで一頭の獣のような仕方で示したことを思い起こしてください。私がサダムをどう思っているかは神のみぞ知りますが、世界中のテレビの前で、この人間をうつ伏せにしたり、口を開かせたり、髭を剃ったりすることは、まったくもってグロテスクな行為であり、自分自身のレベルを低下させるようなことでした。こういったコンテクストにおいて一番驚かされることは、拷問という言葉が使用されなかったことです。

一方で、国際法では拷問が禁じられています。実際には、そういった法がまったく機能していないと言う人もいます。

VN---そうとも言い切れません。1939-1945年には、フランス人捕虜とは異なる待遇を受けていたロシア人捕虜を自由に扱えるようナチスは、ソ連がこの法にサインしなかったという事実に託けたのです。

戦時中、軍隊によって、拷問に傾倒し実践する隊と、実践しない隊があることをどう説明しますか?

VN---譲歩するというもっとも日常的な傾向に対して、私は不安になります。(拷問を)実行しないのも、自分の上官の命令によるということは、差し当って本質的な点です。ジョルジュ・ブイ大佐は、アルジェリアにおいて、自らが管轄した地区での拷問を見逃すことはありませんでした。また宗教心や、少なからず政治信条をもつ人々のほうが、この種の偏向から身を守るチャンスを持ち合わせています。

今日のイラクで、またはかつてのアルジェリアにおいて、拷問行為を犯した若い兵士たちは、自らがとった行為がどういうものであるかを自覚しているのでしょうか?

VN---多くの者はしていないと思います。1961年、列車でたまたま遭った青年に、アルジェリアでの経験を尋ねたことを思い出します。どのように尋問が行われたかについて、彼は話してくれました。私がそれは拷問じゃないかと言ったさいに、知らなかったと答えたのです。これは、アメリカ人兵士も同じでしょう。

ことの重大さを理解させるため、フランス軍は育成・訓育法を修正しましたか?

VN---アルジェリア戦争後に推敲された軍の法規は、この手の手法を厳格に禁じましたので、今日の青年兵士は十分に理解していると思ってよいでしょう。

拷問は共和国にとっての腐敗の始まりだと、あなたは言っています。今日、アメリカ軍が実践していることがデモクラシーを苦境へと立たせるという危険はいかなるものでしょうか?

VN---民主党の大統領候補が、何も発言しないということが、危険であるとともに驚くべきことです。おそらく、これがもっとも不安な材料です。アメリカにおけるデモクラシーを最悪な状態に駆り立てるものは、コンセンスです。

中東問題はどのように進展するでしょうか?

VN---ブッシュがシャロンを「和平の人間」と称しているようですが、国家元首がこれまでに発言したもののなかで、もっとも恐るべき虚言のひとつです。すべてが関係しています。長期に渡りアメリカは、イスラエルに対するほとんど無条件な支援政策と、多かれ少なかれ独裁的なアラブ諸国への支持を調節できたと思っています。しかしながら、もはや可能ではなくなる時が到来しております。いずれにせよ、現行の闘争を解決するために、アメリカが圧力をかけるということは、もはや過去のことです。今後一切の事は、アメリカに対して異議を唱え得るかにかかっております。今日まで、断片的な異議しか存在しませんでした。統合された異議が存在するようになる時に、おそらく様々なことが進展することでしょう。いずれにせよ、これが私が希望していることです。


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2006.08.01[Tue] Post 21:43  CO:0  TB:1  ル・モンド  Top▲  このエントリーを含むはてなブックマーク 

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