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ドレフュス事件 : 免責から100年 

ル・モンド紙に掲載された、ドレフュス大尉へのオマージュ。




*


1895年1月5日、フランスを裏切ったという廉で、ドレフュス大尉は位階剥奪されました。ひとりの将校にとって、これは重罪です。しかしながらドレフュス大尉は、冤罪をきせられたということでした。

その日の朝、パリ士官学校の校庭内で、ひとりの准尉がドレフュス大尉に歩みより、大尉からボタン、ズボンの紐、等級の記章を剥ぎ取るのです。この准尉を前にして、ドレフュス大尉は毅然としています。

一人の写真家がこの瞬間をカメラで捕えることになりました。100年経た今でも、その写真から強烈なものを感じとることができます。ドレフュス大尉は、自身の名誉をずたずたにされたものが、足元に落ちて行くのを見ておりました。そして、群衆の罵倒に耐えることを余儀なくされたのです。ドイツに併合後もフランス人のままでいることを決心した、1872年というこの年は、アルザス出身のこの人間にとって恐るべき契機となりました。自国を防衛するため、青年の時分に兵士になることを自らに誓った彼がです。

ギアナ沖のディアブル(悪魔)島に流刑。およそ5年もの間、ドレフュス氏は、数畳ほどの狭い場所に監禁されているのです。1896年以来、夜になると、鉄鎖でつながれるようになるわけです。柵は二重に張りめぐらされていたため、心を癒してくれる海すら見ることが許されません。人々は次第に、ドレフュス氏の消息を聞くことがなくなったのです。

しかしながら、ドレフュス氏について語ることを止めたわけではありませんでした。むしろ人々の話題は事件についてだけに集中していたのですが、それというのも、ドレフュス氏が無実であったという理由からです。

ドレフュス事件は起こるべきではなかった。事件当初から、この月並みな陰謀が告発され得るものであったわけです。しかし、ヒエラルキーの上層部がミスを犯すことはあり得ないという理由で、どうしても大尉が冤罪をきせられたままにしておく必要があったのです。人々は、国民の高い利権を終始希っておりました。そこでは、数人の責任者らの不履行を隠蔽するということが、たんに問題であったのです。

一方、不正の陰謀を拒絶していた人々もおりました。彼らは逆境にも関わらず、名誉と真理のための戦いを挑みました。もちろんそこには、まずドレフュス氏自身の姿を確認できます。フランス共和国にすっかり根づいていたユダヤ人家族の出身。理工科学校を卒業し、陸軍学校を優秀な成績で修了した後、参謀本部に所属することを認められたドレフュス氏は、努力と才能によって、新しい軍のエリート将校として模範的なキャリアを実現していたのです。

突如として、司法上のグロテスクなミスで生じた悪循環のうちに、この男は捕えられました。それでも彼は諦めることなく、自らの名誉と信義を守ろうとするのです。そしてこれまで以上に彼は、フランスと共和国を信じることになるのです。

1899年に大統領恩赦を受けたのも、無実を立証させる闘いを継続するためからでした。そして彼は再審のために闘うのです。名誉を回復した後、第一次世界大戦には再役し、国のために勇敢に闘うことになります。

アルフレッド・ドレフュス氏の、毅然とした魂、公正さ、勇気は、賞賛するに値します。非常に過酷な試練にあっても、常に兵士として行動した模範的将校。フランスを心から愛し、終始一貫していたひとりの愛国主義者。それでも尚、公正を完全には回復させることがなかった一人の人間ということを覚えておく必要があるでしょう。なぜならば、元の地位からキャリアをやり直す権利が当然あったにも関わらず、その恩恵を受けることができず、悲願に暮れたまま、将校は軍を後にすることを余儀なくされたからです。

それだからこそ、国民は公式のオマージュを彼に捧げる必要があったわけです。さらにはピカール中佐がいます。参謀本部情報部長に就任したピカール中佐は、ドレフュス氏の無実を熟知しております。公正な将校である彼は、上官にそのことを打ち明けるのです。「君が口を閉ざしている限り、世に知られることはない」と。これが上官からの返答です。彼は現職を追われ、危険な任務へと左遷されるのです。ピカール中佐は、黙秘しておくこともできるわけです。しかし彼は語ることを選ぶのです。キャリアだけでなく、自らの人生までも、ずたずたな状態になるところでした。もっとも、彼も軍を愛しているのです。軍に信頼を置くがため、正義にかなったものであって欲しいと願うわけです。軍部首脳は、ドレフュス氏に下した判決の否認が、どれほどまで軍の利害、フランスの国益を害するのかを、理解することを拒んでいるということです。ピカール中佐は、誠実な人間としての義務、つまり自らの愛国的責務を果たすというわけです。

これらの人間が、共和主義的奮起の諸条件を創設したのです。もはやドレフュス氏の無実は、疑いの余地がありません。彼を襲った司法上のミスは、新たな様相を帯びることになるのです。ドレフュス事件がここで正に始まるということですが、それは重大な危機という面からだけでなく、共和国精神が根づくための創設の契機でもあるからです。

各自が自らの陣営を決定すべきであるということ。個人と国家という二つの概念が相対することになります。一方では、国家的理由、軍の名誉が、その他諸々の理由の優位に立つべきだとする者がおります。彼らにとっては、ドレフュス氏が無実であるにせよ、有罪のままであるべきだとします。彼を葬るため、さらには彼を介して共和国がさらに精神的ダメージを受けるためには、すべてが善しとされるのですのです。他方には、正義に順ずる各人の基本的権利の名において闘争する者がおります。それらの者は、犯したミスを認めることで、フランスが偉大になると考えております。クレマンソー、政治にコミットした著述家エミール・ゾラ、栄光の絶頂に達したアカデミー会員アナトール・フランスなど、こういった人々は、様々な経歴、信仰、非常に異なる意見を持ち合わせております。また、社会党員レオン・ブルム、カトッリク詩人シャルル・ペギー、アナーキストのベルナール・ラザー、元老院副議長オーギュスト・シュレー=ケスネー。優れた雄弁家ジョレス、高等師範学校の司書で熱心なルシアン・エールもそうです。これらすべての人々を集結させるものは、ドレフュス事件への関与です。ドレフュス擁護の闘争が、彼らを伴って、多くのフランス人のための闘争になるということです。ひとつの普遍的闘争。すべての人間のための闘争。クレマンソーは、ロロール紙に、<自由と正義のうえに建つ共和国は、専制主義や国家的理由とは相容れないものである>、と書きました。

ドレフュス事件から生じた、敵対関係の暴力は極端なものがあります。ユダヤ人が1791年に市民権の平等を得た国内で、反ユダヤ主義が前代未聞の暴力をともなった形で、国粋主義陣営の側で爆発するのです。ドレフュス派と反ドレフュス派が決闘状態に入るということです。

しかしながら、ドレフュス擁護者ら結集によって、再審への道が開かれることになります。1906年7月12日、100年前のこの日に、破棄院は判決を下すことになります。<ドレフュス氏に対して為された非難を支えるものは何もない>という言葉で閉められ、レンヌ軍法会議判決を破棄するのです。ドレフュス氏の名誉回復することで、人権市民宣言、自然権の基本的法規、国家的理由に対する個人の権利の優位などの諸原理を、破棄院はしかるべき所に置くことをします。

司法上のミスは、普遍的な帰結を引き出すことに至りました。ドレフュス事件は、共和国にとって命取りになるかもしれませんでした。しかし、共和国は危機を克服しただけでなく、そこからいっそう力強く脱出したのでした。つまり、自らの正当性と諸価値をよりいっそう確認したのでした。いくつかの支柱はそこに、新たな堅固さを見いだしたのであった。1914年に多くの犠牲者を出すことになる軍は、共和国において、最終的に確かなるものになったのである。

破棄院での裁判は、公正と人権への傾倒とを証明することになりました。また新聞は、民主主義において不可欠でもある反-権力という役割を負うことを自覚しました。大学教授、学者、著述家、<知識人>と称される人々、共和国のエリートは、初めて、時代に大きな影響を残すことになる道徳的教導権を行使しました。

ドレフュス大尉の悲劇は、人間意識の一契機でした。それは今でも、われわれの心の奥で強く反響し続けております。国が分裂した後、それは共和国を強化することに寄与しました。尊敬と寛容という人間的諸価値を向上させることを完了した、試練というものでした。今日でもなお、われわれの固い絆を築いている諸価値です。ドレフュス氏の名誉回復は、共和国の勝利です。フランスの統一に関する勝利です。

ラシズムと反ユダヤ主義の拒否、人権の擁護、正義の優位、これらすべての価値は、われわれの遺産の一部を為しています。われわれはそれらを、すでに獲得されたように思うこともできます。しかしながら、つねに警戒するべきであり、見えない諸力、不正、不寛容、憎悪に対する闘争は、けっして手にしておりません。

ご出席のみなさま、

1906年7月21日、ここ士官学校において、アルフレッド・ドレフュス氏は、レジオン・ドヌール勲章騎士章を受勲しました。ここでもまた、一枚の写真が歴史の証言をしております。免責された将校が仲間たちと対話をしている写真です。ここに写されている人々の表情は、誇りに満ちております。共和国の兵士に略奪された名誉を取り戻させたのです。<ドレフュス、万歳!>という熱狂的な叫びに対し、大尉は気品を持って答えます。<みなさま、どうかお願い致します。フランス、万歳!と叫んで頂きたい。>本日、ドレフュス大尉、ピカール中佐以下、多くの並外れた人々を称えることで、共和国、そしてフランスを建立している諸々の価値に対して、われわれはオマージュを捧げるでしょう。

Vive la République ! Vive la France !

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2006.07.14[Fri] Post 02:39  CO:0  TB:0  ル・モンド  Top▲  このエントリーを含むはてなブックマーク 

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