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2006.07.02[Sun]  投稿者:-  編集  Top▲

L***さん、お疲れ様でした。知識はあるに越したことはないですが、問題を明確にし、論理的にあせらず展開しているかが、採点基準になるかと思います。
2006.07.07[Fri]  投稿者:chaosmos  編集  Top▲

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「哲学試験は何の役に立つのか?」

今週月曜日(12日)に始まったバカロレア試験。初日は哲学でした。出題はこちらのブログに(引用されてるドゥルーズ、かっこよすぎて涙がでます)。さて、フランスは、他の様々な名 .....続きを読む
2006.06.15[Thu]  発信元:L'ECUME DES JOURS ~日々の泡~  

バカロレア:哲学

ローラン・ギャロスも終り、フェット・ドゥ・ラ・ミュージック、ソルド、バル・ドゥ・ポンピエ~14juillet。ここ数日は真夏日が続き、次第にビールの消費量が増える。街はすっかりヴァカンス・モードであるが、高校生はバカロレアをパスしなくてはならない。CPEのデモなどでいろいろ問題があったが、例年通り、今日からバカロレアの試験が哲学でキックオフ。制限時間は4時間で、3問中1つ選択し論述するという内容。

----
文学系志望者用
-他人に対してのみ義務はあるのだろうか?
<N'avons-nous de devoirs qu'envers autrui ?>
-時間から逃れようすることには意味があるのだろうか?
<Cela a-t-il un sens de vouloir échapper au temps ?>
-ロックの所有権についてのテクストの説明。
----
理系志望者
-ある文化の価値を客観的に評価することは可能だろうか?
<Peut-on juger objectivement la valeur d'une culture ?>
-経験が何かを証明することが出来るか?
<L'expérience peut-elle démontrer quelque chose ?>
-J・S・ミル-善き社会的存在者の基本的原理としての信頼-についてのテクストの説明。
----
社会・経済系
-真理よりも幸福を優先すべきだろうか?
<Faut-il préférer le bonheur à la vérité ?>
-ある特定の文化が普遍的な諸価値の担い手となり得るだろうか?
<Une culture peut-elle être porteuse de valeurs universelles ?>
-アランの-社会組織における最初の欲求ではない経済-についてのテクストの説明。
*
以下は昨日のルモンドに載っていた、若いのに説教臭い哲学教師の記事。

----

哲学教師というものが、採点においては非常に辛口であって、要請することが非常に反動的であるということがもっぱらの噂である。

さらに言うなら、今日における哲学教師とは、教育制度または社会全体に対して完全に反動的な立場にいるということである。時に彼らというのは、主体性の一般的イデオロギーによって支えられた無知・どんぶり勘定・不合理の世界全体と挌闘しているという感情が強いほど、頑なに強い要求を突きつけたりもしている。それゆえ、かつての哲学者らが、羊の群れにおける狼のように、偶像化された諸々の知を粉砕し、革命的ではないにせよ批判的な精神を生徒らの精神のうちに向上する意図でもって、教育の場へと参入していたのであるが、今日では同じ哲学者が、知・諸形式・もはや通用しないと思われるような言語にしがみついている始末である。

これはもっともなことである。何が言いたいのかというと、理性の訓練というものは、広大な文化に基づいた筆記と口述による表現のそれと同じであるということである。簡略化された言語の曖昧さのなかや、過去なき世界の薄明かりのうちには、現動態として機能している理性というものは存在しないのである。これについての確認は、ある面において文学や歴史の教員と疑いなく連動していることだろう。

哲学を教えるということは、フランス国内の大多数の教室では、実際のところ無理な話である。教員各自が自分流儀でやっていることは、それがどの文化大陸に帰することになるのかを生徒が理解していないような、高度な要請レベルを維持することから成る、骨折り損のくたびれもうけというような訓練というものである。私たちは哲学を教授するだけでなく、文化一般・書物・歴史・意義そのものを守る必要がある。こういったものを、個人主義的かつ物質主義的イデオロギー、エンターテイメントによる打ち臥し難い誘惑、虚無から光の速度に到るまでコミュニケ-ションの能力へと赴くような世界から守ることである。

常に事情はこのようなものであったという考えからは、距離を置くべきである。目下のところ問題になっている難題は、もはや思考の訓練によって挑むべき無反省なオピニオンからなる困難さではない。われわれの時代を他の時代に例えるなら、おそらく中世ということになるだろう。それというのも、まったくその時代と同じように、学部の教員の子供たちによって構成される、エリートに割り当てられた現場というものが存続し、また、そこではいかなる改革も教育の要請は着手されず、古ぼけた学習法すら改革されないというのが現状だからである。

中世においてそうであったように、思考の訓練というものが、現に産出的でないエリートらの手に自然な形で疑問なしに委ねられているようである。実に長きに渡って、無駄なものの修練によって識見豊かな市民らを形成することなど、教育の場では考えもつかないことである。教育の場が、有能な持術者と従順な管理職を生産し、あとは、意味のない義務で一杯にするという観念に多かれ少なかれ熱狂的な奴隷を生産しているという次第である。

哲学教員室の背後で、ひとはゆっくり進行する破局を、胸を締め付けられるような気持ちで観察しているのである。われわれの世界から意味が逃げて行くのであるが、哲学教員としての私たちは、まったく反対方向に向かって必死に足掻いているのである。自分たちの生徒の心をつかむために絶えず見世物を即興しつつも、心をつかまないものへと生徒たちを導くことをしている。力づくでまったく不自然な驚愕というものを引起し、もはやいかなる矛盾ですら不安定にすることはないニヒリズムで高められた精神を前に、こういった世界の矛盾を解体することに努力はしている。

世界を観察するため、自らの殻から出るようなものからなる理性は、少なくとも3つの境域で活用している。つまり、理性が存在者の傍らへと向かうさいに、それは科学的かつ形而上学である。理性が共有財の問題へと向かうさいには政治的であり、普遍性の問題へと向かうときには道徳的である。換言すると、理性というものは、個人の自然的性向ではない道程を取るための精神の努力であり、個人に自分をさらに向上させることを強いる手段を採用するための精神の努力である。

一市民になるということは、ただ自分のために闘争する一個人であるということを止めることである。道徳的存在者になるということは、自らの利害のためだけによって行動することを止めることである。ひとりの人間になるということは、即時性や、すべての衝動による安易な満足を超えて、自らを向上させることである。こういったことは、事実、まったく自由であるとは言えず、反対に、哲学の授業の本質でもあるのである。現にある状態から別の状態へと生成変化するということ、あるひとつの製品とは別の存在としているということのこういった可能性は、今日では危機の状態にある。

私たち若い哲学教員は、誰一人として主張して欲しいとは言わないこの方針を、主張することで毎日へとへとである。





--------

以下は、ドゥルーズが哲学について述べている部分で、お気に入りのパッサージュ。非常によい訳なので、足立和浩氏のものをそのままコピペ。

哲学は何の役に立つのかと問われたとき、答えは攻撃的でなければならない。なぜなら、そのような問いは皮肉で辛辣たらんとしているからである。哲学は国家や教会の役には立たない。国家や教会には別の関心事がある。哲学はいかなる既成の権力にも役立たない。それは悲しませるのに役立つ。誰も悲しませず、誰も不愉快にしないような哲学は哲学ではない。哲学は愚劣をやっつけるのに役立ち、愚劣を恥ずべきものとみなす。それは次のような使用法以外のものをもたない。つまり、あらゆる形態における思惟の低俗さを告発すること。その源泉や目的の如何を問わず一切のまやかしにたいして批判を目論むような学問が、哲学の他に一つでも存在するであろうか。反動的な力の勝利を導くであろうような一切の虚構を告発すること。犠牲者と加害者との驚くべき共犯性をも形成する、低俗と愚劣との混淆をまやかしの中に告発すること。けっきょく、思惟を攻撃的なものに、能動的で肯定的なものに変えること。自由な人間たちを、つまり文化の目的を国家や道徳や宗教の利益と混同することのない人間たちを、形成すること。われわれの思惟の座を占めている怨恨ややましい良心に対して闘いをいどむこと。否定とその偽りの威光を打ち破ること。哲学を除いたら、こういったことすべてにいったい誰が関心を抱いているのであろうか。(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』§3-15)

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2006.06.13[Tue] Post 08:04  CO:2  TB:1  文化  Top▲  このエントリーを含むはてなブックマーク 

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2006.07.02[Sun]  投稿者:-  編集  Top▲

L***さん、お疲れ様でした。知識はあるに越したことはないですが、問題を明確にし、論理的にあせらず展開しているかが、採点基準になるかと思います。
2006.07.07[Fri]  投稿者:chaosmos  編集  Top▲

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今週月曜日(12日)に始まったバカロレア試験。初日は哲学でした。出題はこちらのブログに(引用されてるドゥルーズ、かっこよすぎて涙がでます)。さて、フランスは、他の様々な名 .....続きを読む
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