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プレスの中のアヴィニョン 3-1(リベ編)

・アヴィニヨンでおとがいをたたこう Avignon : on y tance

  リベラシオン紙 23/07 Par Antoine de BAECQUE et Rene SOLIS

 いくつかの失敗によって指摘された、非常に急進的かつ容易ならない第59回のプログラムは汚名を着せられる対象には値しなかった。

* * * * *
*
 戦火が覆った、木曜日のフィガロ紙の一面記事<アヴィニヨンの観客は立腹している>で、戦闘が勃発した。<芸術的にもモラル的にも惨憺たる破滅>と書く日刊紙は手加減せず、路上での口論が死亡事故にまで発展した悲惨な事件と、おそらくはフェスティヴァルのプログラムによるであろう<周囲の苛立ち>とをいい加減にごちゃ混ぜしている。諸攻撃の暴力によって衝撃を与えられたフェスティヴァルの主催者サイドは、劇場はどこも満員御礼であるということと、展示場や討論会場にこれほどまで多くの人が集まったことはないということを強調することで対応している。

 <オナニズム> 実際には、アヴィニョンは、ブーイングが出た例をひとつだけ知っているが、それもくだらないものである。AFTER/BEFOREの初日である7/17の日曜日、Pascal Rambert氏の演目でのこと。「いったい、君たちに何をしたというのかね?」と、俳優に向ってある観客が発したブーイングは、第59回フェスティヴァルと向き合っている一部の観客の狼狽に明確な形を与えたようにも思われた。そこからこの反応を演目さらには観客全体へと一般化することで、結果的に一歩前進することはある。フィガロ紙に先立つ2日前、主要地方紙であるラ・プロヴァンス紙は<観客の不平不満>という見出しで一面を投じた。週のなかごろから、悪口の火蓋は切られたのである。フランス・インターの13時のニュースでは、木曜日、<アヴィニョンの大惨事>について語られた。ローザンヌのヴィディ劇場主宰Rene Gonzalez氏は、ユーマニテ紙で記載された論説内で、<全般的に自閉症とオナニズムによって特徴づけらている>一フェスティヴァルと言及することになる。Frederic Ferney氏は、ポリティス誌の<何たる粛清!>と題された記事のなかで、<観客の足を遠退けさせる陰鬱で厳めしい急進的態度>について語っている。
 確かに、今回のフェスティヴァルには昨年以上に失望させる点も多く、いくつかの点で失敗はあった。(Jan Fabre, Jan Lauwers, Wim Vandekeybus, le Groupov de Jacques Delcuvellerie)。おそらくは言葉よりも肉体を重視する点、そして時にはナルシズム放任がひとつの陣営の自惚れを掻き立てていたのは確かである。しかしこういった論争的応戦が、惨憺たる結果に対する犠牲者であるという印象をまったく受けていない観客の多くを、驚愕させたままにしている理由はある。Jean-Francois Sivadier氏による二部作ガリレオの生涯ダントンの死に温かな拍手を送った後、連夜、ポーランド人舞台監督Krzysztof Warlikowski氏によるKroumに喝采を送るリセ・サンジョゼフ校中庭の観客ら。同様に、Hubert Colas 氏のハムレットの冒険、あるいはOlivier Py氏のさらなる伝説Vainqueursの冒険に参加する観客。さらには、Marina Abramovicの女パフォーマンス師の一生を回顧する劇The Biography Remix、に魅了される観客。Jean-Francois Peyret氏の創作Cas de Sophie Kの観客は、笑みを浮かべて劇場を後にしている。Castellucci氏の二つの劇とヴィデオ上映に参加する12000人の観客らの反応は二つに分かれるだろうが、いずれにせよそれらを活気つける創造力によって一同に強い印象を与えるに違いないだろう。

 <挑発者> はたして今回のアーティストの一人であるJan Fabre氏は、罪を問われるのであろうか?別にそんなことはない。というのも、たとえ、法王庁正面広場での彼の創作l'Histoire des larmesが期待を裏切るものだったにせよ、またたとえ彼の脚本が最高のものでないにせよ、驚愕させられたJe suis sang の再演は、フランドル出身の作者がペテン師以外のすべてであるということを証明したからである。韻文は言語運用の増殖のなかに存在するのか?確かにLast Landscapeのなかでの、Josef Nadj氏によって提供されたソロにはない。ダンサーでもある妻の病と死からWilliam Forsythe氏によって想像された、You Made me a Monsterのなかでもない。大きな池の底でパジャマ姿でいる、Jean Lambert-wild氏のパフォーマンスを拝聴するために、リセ・ミストラル校のプールへ飛び込んだ人らは、自らの体験を後悔はしていない。
 確かに、失敗作、(名文句の祝賀なしの)基調に対する欲求不満と合い重なった(いつまでも続くヴィデオ、肉体、ダンス)形式の飽和状態はある。許容範囲ぎりぎりのジェスチャーの数々と統合的演目の不在によって、分裂したフェスティヴァルという印象を与えてはいる。しかしながら、30年以上も前になるが、VilarがBejart とダンスを法王庁前広場に招くことを「敢えて行った」時以来、扇動された異常な論争の彼方で真の転機は存在しているのだ。まずは、ひとりのアーティストを各回ごとに与るという政策は、より急進的かつ多くを要求する態度が有利に働くため、支持を多く得ているプログラムとは一線を引くこと。次に、ひとつの時代の終焉を見守るという理由から、アヴィニョンは、諸先輩たちがヴィラン的伝説を伝達する場としての、常に複数世代のフェスティヴァルであった。こういった創始メンバーらの世代は消えてなくなっている。観客の若返りはおそらく、苦難な別の諸断絶を経験することになるであろう。
 この巨大な騒ぎのなかでもっとも節度のあるもののひとつは、逆説的にも、UMP地方議員で旧閣僚であるRenaud Muselier氏の単純ではあるが的を得た、アヴィニョンは「常に、挑発的なフェスティヴァルであった」を思い起こす発言である。

 
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2005.08.10[Wed] Post 22:24  CO:0  TB:0  文化  Top▲  このエントリーを含むはてなブックマーク 

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