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ツヴェタン・トドロフ : 自由民主制における好ましからぬひとつの官省

トドロフのこの論説は、もしアイデンティティーについてのテーゼとして受けとるならば、特に新しいことを見いだすことはできないものであるが、本人もそのことは承知のことであろう。知識人は、愚劣な思考と戦わねばならないこともあるということである。*

オーエルは「1984」のなかで、全体主義国家オセアニアに設置されている各官省を描写しているが、それらは平和省、真理省、愛情省、豊富省といったものである。共和国大統領ニコラ・サルコジは、自身が選出された暁には、「移民=ナショナル・アイデンティティー省」をこのリストに加えることを最近になって公約に挙げた。こういった新しい官省は、Miniver(le ministère de la vérité)、 Miniamour (le ministère de l'amour)というように、「ニュースピーク」の略語で表記されることにオーエルは注意を促がしている。したがって、同一系列上にあるサルコジの新たな官省は、Minident(ministère de l'immigration et de l'identité nationale)と表記されるわけである。
オーエルによって想像された各省を、われわれはなぜ好ましからぬものとして見なすのだろうか?それは、われわれが真理あるいは愛に反対しているからではない。これらの大きすぎるカテゴリーは、国家的行為の管轄外にあると考えるからである。真理探究の自由は、科学者やジャーナリストらに任せておけばよいし、愛に関する諸々の事柄は、各個人が管理しておけばよいことである。そういったことは、政府や議会が口をはさむようなものではない。この点では、われわれのデモクラシーが自由であるということである。国家は市民社会の隅々までコントロールせずにも、ある一定の範囲内において、各個人は自由でいられるのである。
そこで、ナショナル・アイデンティティーの問題である。現在に至るまで、自由民主主義を保護することを、あるひとつの官省に託す必要がなかったことは、別に偶然というわけではないだろう。「ナショナル・アイデンティティー」という、この標語をどのように理解したらよいのだろう?特筆するようなことではないが、恒常的進化のなかで揺れ動くひとつのアイデンティティーが問題であるということを、まず心に留めておく必要がある。過去に崩壊した民族だけが、不動のアイデンティティーを得ることができたのである。2007年と1907年のフランスのあいだに、共通する特徴は僅かしかないし、1707年と比較すればさらに少なくなる。もしも、アイデンティティーが変化すべきでないものなら、フランスがキリスト教国家になり、続いて宗教からの独立国家になることもなかったわけである。
アイデンティティーは進化するのであるが、それはまず第一に、それを構成する諸集団がもつ関心事の数々が、当事者間で一致しないからであり、また、これらの関心事によって不安定なヒエラルキーが形成されることになるからである。例を挙げると、1944年の婦人参政権の欽定によって、女性に国内の公共生活への積極的参加を可能にしたのである。そこにおいて、ナショナル・アイデンティティーは変革されたということになる。また同様に、23年後には、避妊する権利を女性は獲得した。このことは、ナショナル・アイデンティティーに、新たな変化をもたらすことになったのである。
ナショナル・アイデンティティーが進化するのも、別の人口と接触することがあるからである。風習のアメリカナイズ、諸制度のヨーロピアナイズ、あるいは今日では、マグレブ、アフリカ黒人、東欧からの無視できない少数民族の存在がある。移住者というものも、いまさら驚くことではないのだが、それというのも、1/4のフランス人の両親もしくは祖父母が移民であることは、周知のことであるからだ。ゆえに、ナショナル・アイデンティティーと移民とを。まとめて処理するひとつの官省を提唱することで大統領選の候補者は、ふたつの間の否定的関係を連想していることになる。つまり移民とは、そこからナショナル・アイデンティティーを保護すべきことろのもの、そうすることで、移民はこのアイデンティティーが、すべての偉大な民族のそれと同様に、ゴロワ期からフランク、ローマ期を経て今日に至るまでの、様々な人口との出会いによる産物であることを忘れるということである。フランス的アイデンティティー上にある、これらの出会いがもつ効果は、それが常に生き生きとしたものであることの証なのである。
フランス人ということは何か?「フランスはひとつの人種でも民族でもありません」と、候補者は説明しているが、これについて異議を唱えることはない。さらにこう続ける。「フランスとは、フランスを愛するすべての人間であり、諸理念、諸価値を擁護することを心得ている人間です。フランス人ということは、フランス語を話すこと、書くことなのです。」これは、まったく意味不明である。それというのも、フランス国外で生活しながらもこの国を愛し、フランス語を話し書いている非-フランス人がいるわけであるし、同様に、残念なことに、読み書きができないフランス人もいる。しかしそのことが、善きフランス人であることの妨げにはならない。問題は、愛というものは、ここにおいては何の関係もないということである。(愛情省もしかり。)市民権というものは、諸感情によっては定義されることがなく、全体主義国家のみが、祖国への愛を義務づけるということである。
「フランス人のアイデンティティーは、譲渡不能な諸価値の総体である」と、候補者は続ける。例として引用するものは、「ライシテ、男女平等、共和国、デモクラシー」というものである。これらの価値は、素晴らしいものに違いない。それは実際に守らねばならぬものである。しかしながら、これらの価値は、別にフランスだけに特有なものではないだろう。デモクラシーと共和国精神は、国外においても主張されているものであるし、平等性やライシテというものは、これらの政治体制の定義そのものとして一部と為しているのである。事実、こういった価値観は、フランス的アイデンティティーだけではなく、一国の市民や居住者らが従っている共和主義協定に帰属しているのである。
男尊女卑が非難すべきものであるのも、フランス的アイデンティティーと相反するからではなく、現行の法律あるいは制度的諸原理を侵害しているからである。ナショナル・アイデンティティーは、諸々の法律の掌中に陥ることなしで、フランスという一国で生活を営む人々の活動によって、日常のなかで形成されかつ解体されているのである。

候補者がアイデンティティー省の計画を破棄してくれることを望みばかりである。しかし、その気がないとするなら、彼が計画を実施する機会を持たないことが望ましい。



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2007.03.25[Sun] Post 10:50  CO:0  TB:0  ル・モンド  Top▲  このエントリーを含むはてなブックマーク 

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